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<鳴海風の気まぐれ日記> がスタート
気まぐれ日記 1999年12月
11月30日(火)「風さん、銀座に出没する!」
銀座8丁目、金春湯の向かい、伊勢由ビル地下1Fにある「貴族」は、とっても感じのいいナイトスポットです。飾らない女性たちの接客ぶりもいいし、小さな美術館を思わせる内装や美術品のディスプレイもいい。間隔をおいて自然に始まるジャズの生演奏とムーディなボーカルも、しっとりと胸に響きます。すべてママさんの人柄が醸し出す雰囲気、心にしみる優しさが、色々な形になり、光になり、音になり、空気になっているのでしょう。
ここは、高校時代からの宿敵で親友のNが紹介してくれた店で、上京して彼と会うときは必ず寄るところです。今夜も、忙しい中、無理して会う約束をしてくれました。もう1人の高校時代の同級生Sは、徹夜の編集が続いていてどうしても出てこられませんでした。
貴族で過ごすと、毎回帰りが遅くなるので、今夜は銀座日航ホテルにチェックインしていました。約束の9時少し前に店に入ると、なんとほぼ満席で、Nの姿は見えず、カウンターで待ちました。この店でNは特別な存在なので、その悪友である私もその恩恵で半特別扱いです。前に来たときに会った女の子がすぐ水割りを作ってくれました。数カ月前に一度会っただけなのにこちらを覚えているというのは、さすがプロですねえ。
ほどなく、NはOという女性を同伴してやってきました。20年来の付き合いとかで、パリのカルチェ・ラタンに画廊を持っているそうです。「ノートルダムの近くですね」と私が知ったような台詞を吐くと「ええ、橋を渡ってすぐですよ」という返事。コンコルドラファイエットホテルにも画廊を持っていたことがあるそうで、最寄りの地下鉄の駅が<ポルトマイヨー>だとか、向かいにあるメリディエンホテルと三角形をなす位置にある<栄楽園>という中華料理店の話とか、私もパリには5回遊びに行った経験があるので、すっかりうちとけることができました。そうでなければ、パリで画廊を経営している実業家とおいそれと口なんかきけませんよ。あ、それから、彼女は猫を1ダース以上も飼っているそうで、昔から猫と生活を共にしてきた私としては、そこも大いに波長がかみ合って、初対面なのに、実にスムーズに話ができました。もっとも、Oさんにしても「彼からずいぶん話を聞いているので、とても初対面とは思えませんわ」ということでした。
今夜のボーカルは、もっか売り出し中の(プロだから名前を出してもいいだろう)石井明子さんという人。まだ22歳という若さですが、しっとり聴かせてくれました。なかなかの実力派です。最初視線を合わせたとき、中年の魅力に危険を感じたのか(我ながらよく言うよ)、彼女、しっかり距離をおいて話していましたが、ホームページの話をもちかけたら、次第に豊かな胸を開いて話してくれるようになりました(こういうこと書くから嫌われるんだってば)。彼女にとっては迷惑かもしれないけれど、若い頃のキャシー中島に雰囲気が似ていて、私はファンになってしまいました。恵比寿のサンマリノとかいうところで注目されているジャズ歌手です。
鼻の下を伸ばしていたら、地下にもかかわらず、携帯電話にワイフからメールが届きました。「パパりん。おやすみ」だって。おおー怖ーっ!
ホテルに帰り、シャワーを浴びて、クーンツの「ベストセラー小説の書き方」を読んで、3時に就寝しました、1人で。
12月4日(土)「フィットネスでお疲れの風さん」
朝食後、近くの図書館へ借りている本の返却と継続処理に。町立図書館で蔵書量は決して多くはなく、探している本は見つからないが、読んでみたい本は必ず見つかる(この意味分かりますか?)。ちなみに現在借りている本は、高血圧の対処法(風さんは血圧が高くて、医者から目をつけられているのです)、漢方薬の本(最近、アレルギー性鼻炎の薬ということで、作家の霧島那智さんの勧めで小青龍湯を試しています)、税金の知識(作家として独立するための準備の一環)、あとは小説ネタに関する本で、詰め将棋、印刷技術など。来年は読書歴でも残そうかと思っているが、多忙でなかなか読めず、つんどく状態がほとんどだ。
帰宅後、さあ作品の準備だ、と思ったら、水曜日の出張のための切符を買ってくるのを忘れたことに気付き、また出動。
夕方から、近くの体育館へフィットネスに出かけた。今日は、ストレッチ、体力テスト(エアロバイクでやるヤツ。VOmaxが3.08で6段階中の4「優れています」という結果が出て満足。6段階中の5が出たこともあるが、4なら上々吉)、ステアマスター(階段昇りシミュレーション・トレーニングで10分で42階まで昇る運動量)、ラボード(回転ベルトの上を走るヤツで、12分で1.5km強)、あと腹筋、背筋、ラットプルダウンなどをやった。これらを1時間ほどでこなすので、帰宅したら足にきていた。
それでも、長編のための年表作りをやって、1時半に就寝した。
12月5日(日)「友人の育児アルバム、育児ビデオに圧倒された風さん」
きたる2月12日に会社の部下の媒酌人を頼まれているので、婚約中の2人と披露宴で司会をするT君一家を昼食に招待した。非常に明るいカップルの紹介はまた次回ということにして、今日は、T君の話。
T君も会社の同僚で、付き合いは結構長い。なかなか多芸多才の男として社内では人気が高い。今日は奥さんと1歳5カ月になる坊やを連れてきた。信じられないくらい行儀が良くて(もちろん年齢の割にということ)、仕種に品があり、顔の表情や動作を観察しているといかにも賢そうでありながら、素直そうで可愛いのだ。私は友人の子どもとはいえ、めったにほめないので、これは正直な感想である。
他人が見ても可愛いのだから、実の親ならなおさらだ。ところが、このT君の溺愛ぶりは<超>がつく。誕生前後から、毎日デジカメやビデオで成長ぶりを記録していて、今日はそのファイルを見せてもらった。各ページに6枚ぐらいずつプリントアウトしてあり、こまめにキャプションがついている。出産寸前の奥さんのヌード写真も(映倫カット付きで)あったし、体内の坊やの超音波撮影像もあった。生まれてからは、初めてのウンチの写真やらおっぱいを飲んでいる写真やら(もちろんおっぱい付きの写真)、おちんちんの接写やら、ありとあらゆる場面でのさまざまの坊やの表情が生き生きと毎日記録されているのだ。編集されたビデオも見せてもらったが、撮影されているのは坊やや奥さんばかりなのだが、カメラを構えているT君の姿(気持ち)が強烈に見る者に迫ってくる。古くなりかけたぼくら夫婦にとっても大変な刺激だったが、結婚前の2人にとってもはんぱではないインパクトがあったことだろう。
そのT君からもらったお土産のひとつに手彫りの雅号の印鑑がある。下にそのイメージを紹介するが、いいだろう?
この印鑑をじゃんじゃん使えるようにがんばんべえ!
12月8日(水)「読めども読めども・・・の風さん」
会社の仕事で幕張メッセ(千葉県千葉市。東京ディズニーランドの先)へ行ってきた。我が家から、片道約4時間もかかる。電車での出張は、できるだけ読書にあてることにしているから、9年前に買った遠藤周作の「侍」を持って出かけた。この本も、今取り組んでいる長編のテーマと近いので、色々と勉強になる。それと、長編の書き方という点から言うと、「侍」は支倉常長をモデルにした侍と、セビリヤ出身の宣教師ソテロ神父をモデルにしたベラスコ、2人の視点で交互に書かれている。そのへんのテクニックも勉強になる。というわけで、家を出るときには「さあ、思いっきり読むぞ」と元気いっぱい飛び出したのだが、急に<超速読法>が身につくわけではないので、いつもの<超遅読法>で一文字一文字丹念に読んでしまった。読めども読めども先へ進まず、帰宅したときは、やっと164ページに達したところだった。年表も遅々として仕上がらないし、こんな調子じゃ、いつ長編が完成するのか、さっぱりわっかりーません。インターネット歴史作家協会の霧島那智さんの、今日のメールを読むと、「昨日、青春出版社の近未来戦記を脱稿。10日で書き上げるぞ、と張り切って取り組んだんですが、12日もかかってしまいました」とある。これは驚きの一語に尽きますが、とにかく、こういう人もいるのだから、少しでも近づかないと・・・。
12月11日(土)「キアヌ・リーブスのマトリックスを鑑賞」
わけの分からない猛烈なアクション・シーンや、いきなり主人公が追い回される場面や、謎の人物やらが出てきて、「何なんだ、これからどうなるんだ」とヤキモキさせられながら、いつの間にか物語の中に引き込まれる。まさにクーンツの「ベストセラー小説の書き方」を忠実に守ったようなすべり出し。
パソコンやインターネットにはまっている自分にとっても、つい納得してしまうような舞台設定だった。
現実の世界が実はコンピュータが作り出した、意識の中で認識させられているだけの仮想の世界だったというお話。
21世紀の早い段階でコンピューターが人工知能化し、人類にとって脅威となり、両者は戦うことになる。太陽エネルギーで稼働するコンピュータのエネルギー源すなわち太陽を、自然を破壊することによって(空を厚い雲で覆うことにより)奪ったのは愚かな人類だ。ところが、戦いにコンピューターが勝利し、人間の体から発するエネルギーを新たなエネルギー源とするため、ほとんどの人類は栽培されることになる。培養機の中で生かされる人類は、コンピューターの作り出した仮想世界の中で夢を見させられる。それが我々の現実だというのである。そのことに気付いているごく少数の人間と、前の時代から生き続けている生まれながらの人間が、コンピューターの作りだした仮想の現実から解放されるために、その仮想の世界の中で戦うという、込み入ったストーリーだ。
面白いのは、真の現実を知っていて戦おうとしている彼らの生活は、たとえば食事は体に必要なだけの味気ないものであり、精神的には常に戦闘状態の緊張にしばられたもので、彼らが見る実際の地球表面には豊穣な海もなければ緑濃い森林もないのだ。それに引きかえ、コンピューターが作り出した仮想の世界で生きている人類の生活は、たとえそれが意識下だけの仮想のものだとしても、分厚いステーキはうまく感じるし、セクシーな女性には目が離せないし、目に映る世界は高度に文明が発達した都市であり、自然もたっぷり残っているのだ。どっちが本当に幸せか頭がこんがらがってしまう。ドラッグでラリッている若者、ボケ老人、植物人間か安楽死か、鎖につながれた犬、言葉を話せない高等哺乳動物etc. なかなか深遠なテーマも内在する。
ハッカーを趣味にしていた主人公のキアヌ・リーブスは、運命的な出会いにより現実と対峙させられ、仮想世界から現実世界へと人類を解放する救世主にさせられるのである。パソコンに埋没している主人公自身の、パソコンのシミュレーションの中の夢物語のようでもあるが。
作家鳴海風として、やや物足りなかったのは、さすがに仮想の世界の物語だけあって、瑞々しい恋物語が生じないのだ。最後に付け足しのように「私が愛した男は死ぬはずはない」なんて台詞を吐きながら女将校がリーブスにキスするシーンがあるが、ちっともハートを揺さぶらない。恋のシミュレーションゲームなんてのは、やはり味気ないものなのだろう。
でも、現代のコンピューター社会を扱った作品であること、そしてストーリー展開を学べる点で、お薦めである。
12月19日(日)「障子貼りは年末行事にしたくない・・・の風さん」
マイホームを建てて10年目。今年は色々な修理にお金がかかった。給湯器が壊れた(新品と交換)。和室の畳を交換した(表替えではない)。出窓のガラスにヒビが入っているので交換した(8万円強)。新築時に購入した電気製品もおかしくなってきた。洗濯機の羽根がぶっこわれた。大型石油ファンヒーターが異音がするので、メンテしてもらった。めったに使用しない食器洗い機が水漏れした(修理未完)。・・・。
普通に使っていてもこれだから、仕方ないのかもしれないが、ウチのバカ猫シルバーの爪おかげで、家の中の壁や障子、ふすま、ドアなどが目も当てられない状況である。ブルーペルシャと三毛トラの雑種のシルバーは、もらわれてきた時は、実におとなしい猫だった。加えて美形。幼稚園の頃から猫と暮らし共に成長し人生を歩んできた私から見ても、いかにもペットショップで買ってきた、しかも値段の張りそうなペルシャ猫の容貌をしていた。ところが、ところがである。さすが化け猫、三毛猫の先祖の血が出たのか、あるときから、狂暴なバカ猫に変身した。
オス猫なので、去勢してもらうために、獣医に預けたとき、「ついでに爪切っておいてもらえますか」とセコイお願いをしてしまった。獣医はなぜか出血するほど激しく深爪し、それ以来、シルバーは極端に足や爪にさわられるのを嫌うようになった。だから、なかなか爪を切ってやることができない(噛み付くんだもん)。そして、あちこちで爪研ぎ爪掻きをするようになったが、脳みそが著しく不足しているシルバーには、しつけができない。しかってもしかっても懲りずにまたやるのだ。壁やふすまに下貼りとして厚紙を貼っても、すぐに引き裂かれてしまう。もちろん「ここなら爪掻きしてもいいんだよ」というボロ座椅子を用意してあるのだが、そこだけではしてくれないのだ。一計を案じた私は、厚紙の代わりにサンドペーパーを壁に貼った。まるでヤスリのようなザラザラしたヤツだ。これにうっかり爪を立てようものなら、爪の先端は摩滅し、さらに体の芯までしびれるような高周波音と振動によって二度とそこで爪掻きをする気にはならなくなるだろうと確信した。我ながら名案だと思った。後日、多数の人々に自慢話する自分の姿が脳裏に浮かんで、随喜の涙にむせびそうになった。
が、サンドペーパーは無残なムクロとなって、めくれていた。
障子には、ビニールシートのような丈夫なヤツを買ってきて貼り替えた。そいつに穴があいているので、今日、わが子を指揮しながら、また貼り替えたのである。
12月24日(金)「風さんちのクリスマスイブ」
むかーしむかし、「ただいま11人」というテレビドラマがあった。山村総がお父さん役でお母さん役は加藤治子だったかな。子どもが9人もいるホームドラマで、毎回ほのぼの胸じーんのストーリーだった。最終回だったかに、クリスマスプレゼント交換の話があった。クリスマスの前に、11人の名前を書いたくじを各自が引いて、その名前の人にプレゼントを用意するのである。つまり11個のクリスマスプレゼントがイブの夜に匿名で渡される趣向である。それぞれがもらって喜んだりがっかりしたりした後、最後に山村聡が受け取る番になった。ところが、残っていたお父さん宛てのプレゼントは、なんと1通の手紙だった。山村聡が封を切って中を読み上げると、(詳細は忘れたが)小遣いを何かで使い果たしてしまいプレゼントを買うことが出来なかった、どうしてもプレゼントを買おうといろいろ思案したのだが、借りたお金で買ったプレゼントでは本当のプレゼントにならない気がする、かといって何かを作ってプレゼントする才能もない、さんざん考えたあげく、子どもが父親へ贈るプレゼントは、普段は口に出して言えない父への感謝の気持ちを伝えることではないか、と思い至った。たしか9人きょうだいの末っ子だった記憶があるが、父親への感謝の言葉をつづった手紙がクリスマスプレゼントで、その最終回(?)のタイトルも「父への手紙」だったような気がする。
うちは家族5人である。お祭り騒ぎが好きな、おめでたい性格なので、親はそれぞれが子どもへのプレゼントを用意し、子どもそれぞれも両親それぞれにプレゼントを用意する。こうすると、210cmくらいの高さがあるクリスマスツリーの下に、12個のプレゼントが山積みになって楽しい。
そして、子どもらが寝静まった頃、パパサンタが用意した3個のプレゼントをそっと枕元に置いておくのだから、あまりの親馬鹿ぶりと平和な日本を再認識してしまう(自分が子どもの頃は、クリスマスの最大の楽しみはクリスマスケーキだけで、パーティもプレゼントも習慣はなかった。でも、秋田に住んでいたので、ほとんどホワイトクリスマスだったけどね)。しかし、そのうち「ただいま11人」のようなドラマチックなイブもきっとあるだろう。
12月30日(木)「須賀川のんきクラブ年越しツアー」
福島県須賀川から母と兄夫婦が母の新車セリカで遊びに来ている。これを私は「須賀川のんきクラブ年越しツアー」と命名し、滞在1週間の綿密なスケジュールも作成してある。
今朝は、愛知県特有のモーニング体験ということで、近所の喫茶店へ兄夫婦を連れていった。350円でコーヒー(もちろん、おしぼりとお冷や付き)の他にトースト1/2、卵一個を使用したスクランブルドエッグ、レタスとトマトがついている。消費税は込みである。
午前中は餅つき機でおもちを2升ついた。お昼は、さっそくつきたてのおもちで、大根おろしもち、きなこもち、あべかわもちをいただいた。
午後は、正月用の買い出しに大型スーパーへ出かけた。
夕食は、私がオムレツを焼き、あと輸入物のエスカルゴをオーブンであたため、フランスパンとワインでいただいた。
その後、賞品付きゲーム大会を開催した。賞品は値段の順に1から8番まで番号がつけて脇に置いてある。午後、私がファンシーショップで買ってきたものだ。袋詰めで中が見えないだけに、皆の目の色が変わった。先ず家族8人でUNOを始めた。練習した後、席順を決め、正式のルールで3回戦をした。上位から賞品が手に入ると信じている皆は真剣だった。3回戦が終わり、上位3人を決めた。私はおもむろにその3人に賞状を贈呈すると共に、優勝者にプラス3つ、準優勝者にプラス2つ、第3位にプラス1つの穴あけを許して、ビンゴカードを配った。「なあーんだ。UNOは予選だったのか〜」UNOで優勝した兄は、中央の他に3つの穴をあけ、すぐにもリーチ、ビンゴになりそうだった。ところが、ビンゴが進んでも兄のカードの穴がさっぱり増えない。ビンゴになった者から順番に賞品をとらせ、最後に全員で一斉に袋を破り、歓喜と落胆の交錯する中で物々交換も進み、賞品は収まる所へ収まった。
明日の午後は、兄と小学5年の我が長男がマリオゴルフ64でマッチプレイをすることになっている。そして、大晦日の夜は、平凡な過ごし方をする予定である。
12月31日(金)「散歩中にみかんを失敬の風さん」
3日連続の小春日和。日中の予想最高気温はナント15度である。朝食後にクラシックを聴きながらふと庭へ目をやると、目白が2羽木にとまっていた。緑がかった羽根で、目の周りがくっきりと白かった。下から上へくるくると幹をめぐりながら登っていき、子ども等に教える頃には、もう飛んでいってしまった。夫婦の鳥だったのかもしれない。
雲一つなく広がった青空にさそわれて、散策に出かけた。兄夫婦と長男、次女の5人である。外套が不要なくらいの陽気だ。山道へ入り、川鵜が繁殖する池まで歩いた。途中はみかん畑と田圃、竹やぶなどである。みかんの木には、大小不ぞろいのみかんがたくさんなっていて、地面にも点々と落ちていた。これからまだ取り入れをするのだろうか。池には鵜だけでなく鴨や白鷺、カラスなどもごちゃごちゃいたが、自らの糞害で枯れた水辺の樹々の枝にとまっている無数の鳥が鵜だった。何羽か水面を滑空する姿を見せてくれ、ばしゃばしゃと水を蹴る様は豪快だった。道が続いているので、さらに奥へ分け行くと、やがて農家の私有地とおぼしき所へ出た。誰もいない山に囲まれたくぼ地に狭い田圃とみかんの木が数本植えられていた。人がいなければ「李下に冠を正す」以上のことを平気でしてしまうのが人間らしい。夏みかんのように成長した大ぶりのみかんを記念に(?)頂戴した(お百姓さん、ごめんなさい)。
帰路、農家直営の販売店で、黄身が二つ入った卵、焼き芋などを購入して朝の散策を終了した。
こんなのんきで平和な年越しを来年も迎えられますように!
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